春のゴールデンウイークの最中に、子供ができてしまった。突然妻から電話がきて、否応なしに「いいよねー」ということで赤ちゃん犬がやってきたのだ。ワクチンだ、しつけだ、食事だとてんやワンやである。しばらく夜鳴きしていたが、次第に慣れてくるとそれこそ元気の塊で、あちこちかじり虫になって、しかも遊んでくれ遊んでくれという顔をする。「お前は犬なんだから」といってもそういうときはしらん顔でなかなかである。犬的要領の良さなのであろうか。なんだかんだで美男犬は得であるが。
幼いときに飼っていた「ナチ」は、官舎には置けないということで親父が車を借りてきて、遠くの山にいってしまった。それこそ動物愛護の風上にもおけないことであったが、ずーと忘れていたことが戻ってきた。マール赤ちゃんは同じ茶の色である。
多くの出会いや別れは、誰にもあることである。自分自身も6月のある日には必ず思い出すことがある。新潟の万代橋にうずくまって後輩ドクターの死を嘆き悲しんだその情景である。多くの死と向き合ってきたクールな自分にもかかわらず、そのときは自己を保つこともできず完璧に打ちのめされた記憶がある。
外科的センスの良さと温柔な性格で、将来が有望なドクターであった。先輩の意図するところを汲み取り、いいほうへいいほうへと風が吹いたものである。仕事は当然忙しく、キャンプをしたり、飲み会もたくさんでまさに駆け巡る日々であった。
そんな彼が、歩けるか歩けないかの状態で野球キャップを深く被った姿で病院を訪ねてきたことがある。2階までの階段を這うような足取りで「先生にあいたくてさー」。古内東子の「スローダウン」と柳田邦男の本が置きみやげであった。
そして、病床での彼との再会には多くの時間を必要としなかった。すべてのドクターや友達との面会を断り続けていたが、ベッドのカーテンすらも閉ざしたままであると聞いた。今逢えなければもう逢えないという気持ちで旭川に飛んだ。
「先生、誰にもあいたくないんだ、こんなになってしまったんだよ」
「手だけでもみせてくれよ」
「― ― ―」
そのあとは抱きしめるしかなかった苦い思い出である。
犬同士の出会いも、よくみてみるとそこに出会いがあり、怖気づくタイプ、威嚇的な犬、知らんぷりの犬、慈愛にみちた犬など人間様と比較できて面白い。我が家のマールは、誰にでも尻尾をふるお人よしタイプかも。 Marrone からとったマールであるが、かつての後輩のようにいつになったら、自分の気持ちがわかってくれるのであろうか。
おりえはいった。
「マールのほうがずっと上ですよ。先生はかきまわされて喜ぶタイプですよね」
「ちょっと腕白ですこしだけ心配させるくらいのかっこいい男が、女性としては魅力的なんですが」
「新幹線」
かつてある病院の先輩に「先生は新幹線みたいに、先へ先へと急がれますね」といったことがある。それは大変失礼な意味であったかも知れないが、とにかく拡張主義でなんでもいいことはやろうという先生であった。手術器具にしても最新のものが用意されていて、消耗品もみみっちくはなくて実にやりやすかった。
その病院は東北のある中核都市の郊外の国道沿いに位置していた。東京とのアクセスがいいことから、東京から多くの先生が新幹線を利用して出張手術や診療にきていた。そういう意味で先端レベルの保持に努めていたといえる。その一方で、我々下っ端にはしんどい毎日であった。地域を大事にすること、すべては患者のためにという目標は、理想的ではあったが疲弊をともなっていた。全員の医師が2段ベッドにとまり、あるときは手術台の上でそのまま横になって眠ってしまったという笑うに笑えない事実もあったのである。
それから 20 数年後、再訪する機会があった。単科病院は総合病院となり、職員は 1000 人にも及ぶ1大メディカルセンターが出現していた。そこに住んでいる人々のために、東京へいかなくても地域で完結する設備を整えたその病院の先輩はやはり「新幹線」であった。人とのつながりを大事にして、新しいこと、いいこと、最高のものを求めるという先輩のポリシーはまだまだ健在であった訳である。大学にも負けない医療機器、ガンマナイフや定位放射線療法のリニアック、 3T の MRI, さらに粒子線治療の機器、学会もできるホール、ヘリポートなどここまでくると実に気持ちがいいと思った。新幹線効果だけとはいわないが、人の交流が盛んになり大学からも多くの医師が集結したことが大きい。以前に病院の前にあった小さな松林と広い広い田圃はなくなってはいたが。
函館が中核都市なら、やはり新幹線は多くの人が住む街を通過すべきかも知れない。旧市街となって観光的な街をめざすなら別であるが。人財が必要なのである。
瑠璃がいった。
「フェリーと空港と新幹線の駅を結ぶ路面電車がいいなあ」
「医療の世界でいえば小児科や産婦人科が大事なのは当然だけど、お年寄りにやさしいということがとても大切なことのような気がするなー」
「定年、熟年、暦年齢」
動脈硬化の検査で、暦年齢より若いという結果がでると誰しも悪い気はしないと思う。それが逆のときは「そんなことないだろう」と言いたくなる人も多いようであるが。特定検診だ、早期予防だ、検査は大事だと煽り立てられてきた人々は、些細なことに過敏になっている。小生的にいえば、自分心配性症候群と思っているが。
武士道的に見事散りましょうのアンチテーゼの「命大事」の風潮が強いのは、介護を受けたくない、迷惑をかけたくないということと重なってさらに増幅されている。長生きをして何をしたいか。今、何か熱中することがあるかが大事である。歳を重ねれば何かが狂ってくるのはそれだけ生きた証でもある。ペットも長生きすることで、メタボリックが増えてしまった。まだまだこの先に青い鳥があると思いたいけれど、現実は行政不況である。書類と形式とマニュアルで管理されて、医療もガイドラインで寒色のモノトーンとなることも多い。家を守ることが大切であった時代では、子供の成長が一番でありお家の宝として厳しく躾られたかも知れない。自分も含めて、人々が軟弱化していくと、食糧欠乏、エネルギー欠乏状況では生きていけなくなる。日本人は遺伝的に飽食に耐えられないから、メタボリックになるという事実は重いのである。不便さに慣れるには今や大変である。これからは新たな我慢の時代かもしれない。小さなデータの良し悪しを論ずるのではなくて、人生とか景気を論じたいところであるといえばかっこよすぎるか。血液データがいくらよくても脳梗塞はおきるときは起きるのである。
誰が決めたかしらない定年、今では 60 歳なんて若いから 70 歳が本当の還暦ではという声もある。多くのベテランがまだまだ生けると思っているからこそであろう。社会的な損失がこれ以上続くなら、やはり日本の活力はなくなるかも知れない。人口を増やすなら、暦年齢の若い熟年の人々を集めてみるのも手かもしれない。
みひろが言った。
「数値でカットされて、少しでも値がオーバーだとすぐに指導がくるというのは、新しい統制社会じゃないのかなー」 |