■日刊政経 冬新年号
「青森からの風」

 (2008.1 掲載)

■日刊政経 夏季特集号
「時がくれば――」

 (2007.8 掲載)
■日刊政経 春号 「背骨体験」
 (2007.4 掲載)
■日刊政経夏特集号
「脳外科医と地方の医療」

 (2006.8 掲載)
■日刊政経夏季特集号
「日暮橋とグラスビール」

 (2005.8 掲載)
日刊政経新年号
  イカとスルメの評判

 (2005.1 掲載)
日刊政経夏号価値観と比較
 (2004.8 掲載)
日刊政経新年号さらば時代
 (2004.1 掲載)
■開院にあたり思う「陣屋通り」
 (2003.8 掲載)

「青森からの風」


 人の習性というか嗅覚はあまり変わらないものらしい。

 秋の紅葉の盛んなときに、ふらっと海底トンネルを通り抜けた。相変わらずの轟音と怜悧な空気を感じながら、早く地上へという気持ちでやり過ごすといういつものパターンである。トンネルを抜けて地上の光を感じたときは、妙に親しみと安堵感を感じてしまった。高所恐怖症はないけれど、海底恐怖症の自分をまた自覚するのである。
  林檎の街は駅前の整備進捗が著しい。新駅ができても都心部の機能と役割は変わらないであろうという印象である。官庁街との隣接、デパート、アーケード、喫茶店やパン屋などが健在なのである。駅前の林檎おばさんも元気だった。また中心部の大きなマンションも見つけてしまった。
  昼から屋外ステージで歌う若者、夜には津軽三味線の路上ライブと遅くまでそのリズムが浸みわたっていた。
  小腹がすいて、ぶらぶらとスペイン料理の店へといくもそこは二次会で貸切であった。そういうことは繰り返すものである。次のイタリア料理店もそうであった。今日は大安でなくて友引だっていうのに。おかげで巷を散々歩いていい運動だと勝手に満足するしかなかった。洋が駄目なら和か。結局は近場の居酒屋がお決まりのコースであった。
  その店は仕事から解放された人々で満ち溢れていた。カウンターの端っこで店を観察するに、どうも初めてではない雰囲気に気づいた。しかも前と同じ席であるとは。常連ばかりのなかで、自分にとっては遅い夕餉であったが、小皿をみてここは前にきたところと確信するにいたった。異邦人を受け入れる素朴さがそこにはあり、この偶然の手引きはなんなのであろうかと。
  人の行動パターンは余り変わらないのかもしれない。好きとかきらいというのもジーンの問題なのであろうか。偶然が重なれば、また人は導かれるのである。また来ようかと。「なっちゃん」もいいかなと。

おりえがいった。
「いつもぷらぷらとどっかへいって、男は旅情派なのかな」
「どっかで、雷に打たれたようないい出会いを経験するのがいいなー」
「まんぷく食堂」

 ガード下の昭和レトロを思わせる食堂に偶然はいりこむことになった。古いポスターとバス停がシンボルのその店の入り口は、昔の専売なんとかのプレートで覆われていてまさにタイムトリップである。 いつもならホテルのワンパターンの朝食バイキングが、魚定食になった。朝7時なのに続々と若者がはいってくる。遅くまで仕事をしていたのだろうか。朝からジョッキを片手にする輩もいる。
「昨日は疲れたけど、いつもどうして○○先輩はあんなにうるさいんだろう」「俺たちが正でないからといって、格下にみることもないのになー」「よく聞いたら、同じ年だっていうんだぜ」
  鯖の焼き魚に冷奴、薄切りレモンとおろし、どんぶり飯と味噌汁。なんともいえない日本の食事である。
「これからまた毎日しんどい時間帯だけど、やるしかないよ」
「あしたの光がみえないよなー、もっと自分の時間が欲しいなー」

 とにかく今努力すればなんとかなるさという時代があった。組織は、雇用制限と効率性とに眼がいき、非効率性には冷たい世間である。即戦力だとか確実性を早くに求めても早稲みたいな訳にはいかない。何でも手入れや熟成が必要なのである。
イサジがいった。
「腹だけ満腹になればいいってもんじゃない。明日への希望があってこそなんじゃないかな」
「みんなLDのことも忘れたのかなー。物つくりの魂とか、人に喜ばれる仕事とかお天道様に胸をはれることが大事なんじゃねえかー」
「法律だってなんだって厳罰化の道ばかりで、まったく人を信じてない世界でよー、国民性の劣化そのじゃないか。みんな軟弱で芯がねえんだよ」
「四の五のばかりで、紙ばかり無駄にするマニュアル好きの世界じゃないか。
医療だってなんだって、ガイドラインに沿わされて助けたいときに豪腕発揮ができないんだぜ。会議好き、ルール作りが得意なのが出世するってのは、なんか変じゃないか」と。

 みんなわかっているのであろう。スーパーへいけば何でもありで、ホームセンターもドラッグストアーも車で買出し。こんなものまでという感じで商品がまんぷくである。反比例して心が荒ぶのは、達成感が満たされない状況と生きる喜びが感じられない悲壮感に侵されている人が多いためかもしれない。瑠璃もいう。
「結婚も通り道。 90% は毎日の繰り返し。日常があるから非日常で感動するもんですよ」
「先読み型の人生なんで面白くないし、所詮エ・アロールですよね」
「あっちのおじさん」

 5 号線をひたすら北へと向かっていく。できればM市の姪の双子のベビーに会いたい気持ちもあった。 森町 を抜ければ、海の向こうが目的地とわかる。この気持ちは、「ジジ」の気持ちと同じでなんとなくわくわくの状態であろうか。
  長万部を過ぎたころから周辺の樹木はその翠を増してきたような気がした。確か黒松内には北限のぶな林があるはずというメモリーが点滅する。
  高速道から黒松内出口を探すも、ちょろちょろパトカーに気を取られあっという間に豊浦方面に走ってしまった。途中の金山トンネルは怖かった。妙に暗くて何か気持ち悪い焦りが同時に襲ってきた。ようやくトンネルを抜けたあとは、すっかり引き返す気持ちになっていた。豊浦で降りて 5 号線を引き返す自分がいた。太平洋がきれいにまぶしくみえた。
  黒松内、黒松内と想いながら一路いくもなかなかみえてこない。そんなときにライトの自動点灯スイッチがはいっていないことに気づく。さらに国道 5 号と思っていたのが道央自動車道から降りたのは 37 号線であったことに気づいてしまった。この二重のチョンボには笑ってしまった。ナビもない地図もないドライブはまったく北海道をしらない感覚である。海のない黒松内へは 37 号から 5 号線につながなくてはならなかったのである。
  歌才ブナ林とぶなの森の温泉はすがすがしいものであった。心を休ませる自然の力は小さな思い出とともに鮮やかであった。
  父と父の部下らしい二人と湯船で一緒になった。
  ばちゃばちゃ。男の子が接近する。
  「あちゃー、水がかかったぞー」
  その子の父がごめんなさいといいなさいという。
  「ゴメンアサイ」 急に男の子はおとなしくなってしまった。
  「よし許す、ところで君のなまえは?」と馬鹿みたいな自分の言葉使い。
それでその子はすっかり固まってしまった。父も部下も、なんとかいったらというも声なしになってしまった。個人情報保護が徹底しているのかも知れないと思った。
  部下の一人は 3 ヶ月後に子供ができるという。胸毛をなでながら子供の教育のトレーニングなのか、じっとあたたかく見つめていた。
  風呂あがりのロッカーで体を拭きながらその男の子が言ってきた。
  「おれ、まえやまかずや、さっぽろからきたの」
  「そうか、俺はたかしというんだ、函館からきたんだよ、知っているかい」
  「いったことないけど、あっちでしょ」
  「そうあっちのおじさんだよ。ようやく辿り着いて君に会えたんだよ」
  正と悪のはざまは分からないこともある。社会が子供を育てるといっても理解されないことも多い。子供と高齢者にやさしい函館の風土でありたいものである。人が好きな医療人でありたいけど、技術と想いの強さで人に喜んでもらいたいけど現実は時の流れの星屑でしかないようである。
  みひろがいう。
「夢をもっていれば、いい時がながれそうな気がしますけど」 

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