| 去る6月に北日本の脳外科医があつまる学会があった。そのなかでのパネルディスカッションのテーマが「脳外科医と地域医療」であった。
現行制度においては、医学部を卒業した医師は2年間の臨床研修(必修初期研修)が義務付けられている。それ以前は卒業後にすぐに自分の選択した診療科の医師となった。しかし、幅広い最低限の知識習得をめざした卒後研修制度がスタートしたにもかかわらずその目論見は見事にはずれた。すなわち適正な医師の配置ができないという悪夢におそわれているのである。各医師が診療科を冷静に判断する時間と猶予、メージャーな科との接点だけが増えた感じで自由選択権が各自に与えられてしまったのである。
今年がその第一期ともいえる研修を終了した医師の、専門領域の医師としての仕事が始まっている。蓋をあけてみれば、今春脳外科医を目指す人は全国的に極めて少なかった。厚労省の 2156 人の調査では、全国で 37 人に過ぎないのである。まったくゼロという大学もあるという。ちなみに内科が 310 人、外科が 184 人、小児科が 182 人、整形外科、麻酔科が 139 人、 137 人と続く。基礎研究にいたっては 8 人しかいない。過重労働が続く救急専門医、心臓血管外科、脳神経外科というのはある意味で高度な技術と訓練が要求される科でありながらそれに見合うフィーが少ない。また一人では成立しない場合も多い。そういうチーム医療のロジステックスが壊れたときに困るのが地域の医療であろう。極端なたとえかもしれないが、グローバリゼーションという名のもとに大樹に群がる傾向は果たしてどうなのかと思ってしまう。医師の配置統制も困るけど次に何かそんなのが出てくるような気がする。
グローバルパラドクスという感覚の「ローカルも大事」という発想は、実にこころもとなくまったく無視されている。人気のある科、業務が比較的楽な科、リスクの少ない科に人気があるといえば言い過ぎであろうか。
年を重ねた脳外科医でもまだまだ働かなくてはいけないのである。
小梅がいう。「まだまだ、歴史は繰り返すしいいこと悪いことがあるのがいつもでしょ」「日本人はすぐアメリカの真似するから、自信がなくなるんですよ。しっかりしなさいよ」と。
「道南脳神経外科施設の変遷」
昭和 44 年 (1969 年 ) 、道南に初めての脳神経外科が函館市立病院に開設された。当時は交通事故も多く、重症頭部外傷がひきもきらなかったと聞いている。 CT もない時代であり、まさに野戦病院的に忙しかったと推定される。平井先生のもと多くの脳外科医が巣立った施設でもあった。たった一つの専門施設として、それから 10 年余りにわたり道南のセンター病院として機能した歴史がある。 七飯の 北海道 第一病院に気鋭の上野先生が赴任したのは昭和 55 年 (1980 年 ) のことである。脳出血やくも膜下出血が多かった時期で、ニーズの高まりとともに 函館市 内からも七飯に搬送される症例が増加していった。しかし、 1995 年函館五稜郭病院に脳神経外科が新設された年にその 15 年の幕を閉じる形になった。
その間、 函館市 内には函館赤十字病院の新築にともない 1985 年に市内2番目の脳外科が開設された。そして 1987 年の函館新都市病院、函館脳神経外科病院へと施設が増えていった経緯がある。また函館中央病院も 1992 年の開設であり、函館地区の救急体制は確実に充実されていったと思われる。さらに檜山地区をカバーすべく八雲総合病院も脳外科を構えていった。共愛会病院にも一時施設があったが、今は閉鎖されている。また五稜郭病院も今年の春に閉鎖となった。一方、国立函館が 2005 年にオープンしている。
施設間の医師の移動もあるが、各施設は脳外科医の補充が十分ではない。一人とか二人とかの施設もあって、今後も定員の増員は難しいといえる。いずれ函館市内の脳外科救急体制も変更されていく気もする。施設の変遷といえば変遷であるが、パワーを持続させていくことは難しいものがあるといえる。
おりえがつぶやいた。
「歴史を軽んずる者は、歴史に罰せられるんですよ。日本的であっていいけど、次から次へと出てきては消えても何かよくなればいいんですから」
「函館ドックのクレーンだって、歴史的には大事だけど使っていないから錆び付いてどうしようもなく危ないんですよ、どんどん鉄が落ちてくるんですから。維持していくこと、長くつきあっていくためにはエネルギーがいるんですよ」
「大きな喜びをえるには、大きな苦労が必要って、どうしてわからないのかなー」
平和ぼけしたわれわれには、常に備えるという深刻さや緊張の糸、必死さが足りないかもしれない。医療がサービスという考えが浸透し、なんでも応えなくてはいけないというこの流れのなかで、人と人との難しさを感じることも多い。この国のこととかこの人生とかを語るのも、歴史の瞬間とは程遠いらしいのである。
「サードオピニオン」
セカンドオピニオン外来が誕生して間もないが、巷間ではあるのが当たり前のように喧伝されている。他の医師の意見を聞くのはいいことであり、よりよい治療に結びつくであろうと思う。悩んだときにどうするか、最良の方法は何なのかと相互に理解を深めていくことが、納得につながり安心につながるということであり当然のことである。選べる自由は、日本のフリーアクセスという医療制度に支えられているといってもいい。どこの病院を受診しても問題はないのである。その一方でドクターショッピングが増えたり、話のわかるテレビ受けする医師がもてはやされてくる傾向もなくもない。医療テレビ番組が増えて、一喜一憂して不安にかられて「あの先生がいい、この先生がいい」となっている。情報開示がすすんで病気の話にくわしくなり、家庭医学の本もあふれ、各病院の手術成績も出てきてまさに検索エンジンが必要な状況になっている。数字が羅列され、保険の契約書みたいに文書があふれている。生きるということがこれほど重要視されている時代はないといってもいいかもしれない。その一方で命が粗末にされ、他人の不幸が見えない輩が魑魅魍魎としてさまよっている。長らえることではなくて、いさぎよい武士道がもてはやされるのも、その対極にある反動としか思えない。しかし、時代はまわっているとしかいえない。精々、小さな喜びを共有しながら変な驕れる考え方が刷り込まれないようにしたいものである。
八千代が登場した。
「いつも先生はぶつぶついってばかりで、飲んでいるときは只の親父なのに」
「なんだかんだいったって、組織力じゃないですか。もっと好きなようにやっていいんじゃない。ぐいぐいといかないと旬は短いですよ」
「セカンドだってサードだって、いい人はいい。時の流れに呑まれないことも大事ですよ」 |