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「価値観と比較」 |
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先日の講演会での冒頭で、 女子マラソンの「Qちゃん」こと高橋尚子選手のオリンピック |
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選考落選の新聞記事がスライドで出てきた。誰もが納得する基準があれば、そんなに問題 |
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にならないのにというのがアピールのプロローグである。 それほど決定、 評価の基準作り |
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は面倒ではあるが、 すべての項目が横並びではない個々の「重みつけ」という考え方を導 |
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入すべきといわれていた。その基礎にあるのは、conjoint analysisであるという。 |
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その詳細は、自分にとってわかるようなわからないようなであったが、試験の配点の重み |
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付けを考えるとよいといわれた。すべての問題が、同じ配点でないことが多いはずとか。 |
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でも、 そうはいっても巷のマークシ-ト試験ではすべてが同じ配点ではないのかなとつい思 |
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ったりもするのはよくないかもしれない。 |
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医者の評価も、技術、知識、経験、説得力、危機管理能力、常識力、手術数、外来患者 |
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数、論文数、学会発表数などが同じ配点でなくて、ある重みをもって評価されるなら、より |
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客観的であろうという。教授の選考過程においては、論文の数が重要な意味をもってくる。 |
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しかも、どの雑誌に出たかで点数が違う訳で、日本語の雑誌では点数が低い。 |
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つまり主流の国際誌に掲載されないと駄目なのである。外国雑誌にたくさん論文をだして |
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、国際学会も出てもちろん国内の学会も網羅して、手術もあって研究指導もあって教授も |
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大変である。教授選考では、種々の要素が加味されて決定されるわけであるが、人の評 |
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価というのはとてもとても難しい。 |
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そのうちにA級医者とか、B級医者とかに区分けされても困るので、 医者の評価基準の |
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作成はやめたほうがいいかもしれない。 |
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客観的評価というのは、格付けとか、比較するのに有用である。そこに実は問題がある |
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のであるが、うまく活用すると面白いかもしれない。たとえば、入院しても静寂度が高い病 |
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院とか、食事がおいしい病院、電話の応対がいい病院とか、 優秀な看護師が多い病院と |
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かである。何だかんだといっても、世間の口コミが一番であろうとは思うが、当事者が、そ |
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ういう観点でみていくことが大事と思っている。 |
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おゆうがぽつりといった。 |
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「データ、データといったって、結局は感じゃないですか。女性の感ってあたるんですよ」と。 |
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「ヴィオラ的生き方」 |
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ヴィオラについて多くは知らないが、バイオリン的でもあってバイオリンとは違う、そして |
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なくてはならないものらしい。決して主役にはなりにくいけど、 セカンドとして貴重な存在 |
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であるという。ある意味ででしゃばらず、ある意味で大きな脚光もあびないけど、マイペー |
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スで生けていいそうである。それを聞いたときには、何か新鮮な感じがした。 |
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今の時代は、こぞって「波に乗るぞー」といって大きなストリームに引きずられる事が多い |
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からである。それぞれの職場では、チームワークと称して個人が大事とはいっても、プロ |
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ジェクトとしてはヴィオラ的発想の人は少ない印象である。 すなわち、存在感があって、 |
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調性があって、人に流されない人といったら、実に難しい。 |
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オグチカ風にいえば、容貌偏差値の高い人はいても、実用偏差値の高い人は少ないよ |
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うなのである。こんなこというと小生が誤解を受けるが、あくまでもオグチカである。 |
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すなわち見た目はよくても、実力はなかなかという人が多いということであるが、そんなこ |
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とは大きな声ではいえないのに彼女がいっているから「うける」のかもしれない。 |
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就職も結婚も、自分を活かすということに主眼が置かれるが、ひとつの契約であり、最 |
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初が大事である。あとで違うとか、変だとかいわれても修復困難のことが多い。 |
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親の苦労を同じようにさせたくないと考える世代の子供が今なら、 社会での苦労は苦痛 |
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になって、フリーターと未婚の人が増えるとか。人を支えての、ヴィオラ的発想にはなら |
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ない。みんながバイオリンになれないのにと思ったりもする。 |
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小梅が、元気よくいった。 |
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「函館にはいい男がすくないでしょ。女性はプライドが高いのですよ。だから人口も増え |
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ないと思いませんか」と。 |
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「日々のなかで」 |
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「御宿かわせみ」の東吾とるいを想像するに、実にうまい関係になっている。お互いに |
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惚れあい、分別をわきまえていながら主張もしているという、江戸時代のいやらしさやつ |
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らさがでていない小説である。今の時代からして、 何故かほっとする雰囲気を醸し出し |
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ているから、ついつい買ってしまうところもある。 現実の医療の隙間をどうするかなんて |
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のは、頭痛がするだけで考えたくないことも多いためかもしれない。 |
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基幹病院も存続をかけて、急性期医療に取り組んでいくわけであるが、 当直明けの |
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医師に「あけ」なんて保障したら病院がもたないであろう。つまり今は当直をやって、 そ |
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のまま外来なり病棟なりの仕事に入っていくのであるが、 それを休み保障という形にし |
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たら業務縮小にしなくてならないのである。そもそもが人手が足りないご時世である。 |
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基幹病院といえど市場原理に曝されてしまえば、持ちこたえれるところとそうでないとこ |
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ろが出てくるかもしれない。数字主義でいくなら、手術症例は診るけれどそうでない患者 |
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さんはいくところがなくなるかもしれない。面倒な手のかかる方は敬遠されるかもしれな |
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い。つまり隙間ができるのである。皆で支えあおうにも、採算性という壁 |
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で振るい落とされるかもしれない。雇用は少ない方がいいのである。そして、入院在院 |
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日数を減らさないといい病院でないのである。重症例は敬遠され、軽症ですぐ帰れる |
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人が歓迎されるとしたら。社会的入院なんて、もってのほかということなのだから。 |
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おりえが言った。 |
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「社会福祉の勉強して、何とかと思っていたけど気持ちだけではどうもならないのです |
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ね。でも隙間を埋める医療ってカッコいいと思いません?」 |